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ホリホに捧ぐ


 てかてかとよく光る禿げ頭をピシャリと打つと気持ちがよかった。私はピシャリ、ピシャリと何度もそれを繰り返した。ピシャリ、ピシャリと音がした。ホリホは私に頭を叩かれながらも、ニコニコ微笑を浮かべている。ホリホの顔は月のように真ん丸だ。眼だけがくりくり笑っている。
「お坊っちゃま、今日もよく晴れてございますな」
「ああ」
 私は欠伸を噛み殺し、曖昧に頷いた。籐椅子に凭れるようにして空を見上げた。空は澄んで雲もなく、清すがしい秋晴れだった。ポカポカと秋の陽光が肌に心地よかった。私は再び欠伸の予感に思わず右手を口許に当てた。
「お坊っちゃま、お話がございます」
 ホリホの改まった突然の口調に、私は彼の顔を覗き込んだ。依然として優しい笑みを湛えてはいるが、それは何かしら毅然としたものを感じさせる顔つきだった。ある決断を秘めた双眸が固く光を放射している。
「お坊っちゃま、お話をするべきかどうなのか、長い間、実に長い間、考えてまいりました。そして今でもまだ迷っております。しかしいずれはお坊っちゃまにも知っていていただかねばならないことでございます。このようなことをお坊っちゃまにお伝えするのはまことに忍びのうございます。だが敢えて申しましょう。お坊っちゃま、ムキンポが底をつきました。もはやムキンポの笑みは二度と見られません」
 ナニ? 私は一瞬返答に詰まった。ムキンポの笑みがもう二度と見られない───私は咄嗟にはその言葉の意味を把握することができなかった。
 世界最大の埋蔵量を誇り、「頭山にムキンポあり」とまで世人に頼まれ、親しまれてきたあの頭山ムキンポが枯渇したというのだろうか? そんなバカな! そんなバカなことがあって堪るものか───私にはその事実は即座には認めがたかった。
 〈代官山のガッポウダル〉〈大鉄山のダイテッサン〉滅びし今、大和二千六百年の伝統はただ唯一、頭山のムキンポによってのみ支えられていたといっても過言ではないのである。無尽蔵と思われていたそのムキンポが今、底をついた。最後の切り札を失ったのだ。八紘一宇をその本旨とし、その理想と理念をあまねく全宇宙に広め、波及せんがための我ら皇統の弛まざる努力の結晶が、今ここに完全に滅し去ったのである。
 風が吹いてきた。飄々と吹きすさぶ肌を刺す寒風のなかに白く鮮やかに風花が舞っていた。一瞬のうちに秋から冬へと季節が急激な変転を遂げたかのようであった。そしてうだるような夏がきた。
「ホリホ!」
 私の呼び声に尻っ尾を振りふり、ホリホが犬のように跳んできた。ハアハアと長い舌を出して喘ぐ姿はなるほどワンコロそっくりである。事実、彼の片親は犬であったという。私は〈お手〉をした。ホリホの右前脚が私の差し伸べる右掌(てのひら)へと差し出される。私は褒賞としてホリホのてかてかと光る禿げ頭をペロペロと舌で舐めまわしてやった。ホリホは嬉しそうに恍惚とした表情で眼をトロンと潤ませている。鬱血したピンクの顔が官能の悦びにピクピクと顫えた。私はその醜悪な赤ら顔を力を込めて思い切り蹴り上げた。キャイン! ホリホの悲鳴が哀しく虚空にこだました。鮮紅色の血飛沫があたりに飛び散り、それは白銀の風花を鮮烈に染め上げた。季節は再び冬───
「哀しいのであります」
「何をそんなに思い詰めておる。のう、ホリホ、人生は山あり谷あり、ムキンポありじゃ。はて、はや夜も更けた。寝ようぞ」
「私はホリホ、切のうございます」
「うむ、判っておる。もそっと近う寄れ」
「私はホリホ、嬉しうございます」
「うむ、快い肌のぬくもりじゃ。ほうほう、可愛いムキンポじゃのう。わっはっはっ、見る間に大きくなりおったわ」
「私はホリホでございます」
「うむうむ」
 そしてその晩、ホリホは毒を呷ってこの世を去った。体内からは致死量の三・二三倍のストリキニーネが検出された。だが死因は不明であった。消息筋からの情報によるとそれはある種の毒薬の服用によるものらしいということであった。そして事件は未解決の謎を残したまま、捜査陣の必死の捜査にも関わらず迷宮入りとなったのである。
 十年の歳月が流れた。すでに私は二十三歳のうら若き青年実業家である。わが頭山産業は今や押しも押されもせぬトップ企業として全宇宙に君臨するビッグ・ビジネスに成長した。ムキンポの採掘と精錬も着実にその成果をあげてきたし、埋蔵量では目下のところ世界最大とまでいわれている。これでホリホさえいてくれたら───そう思わないでもないのだが、彼の死は決して無駄ではなかったのだ───そう自らに言い聞かせ、慰めている。そんな今日この頃である。
 とにかく夏はいい───そう思う。


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