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Also Sprach Mkimpo Kid

1998年02月11日(水)

 たばこ対策強化へ、公開審議の検討会──厚生省が近く設置

 個人の住宅を除き、屋内はすべて禁煙とする法律が今年から米・カリフォルニア州で施行されるなど、海外ではたばこに対する規制が厳しさを増している。厚生省もこうした動きを受け、国内のたばこ対策の強化に乗り出す。(朝日新聞)
 

 すばらしいnewsだね。日本は全面禁煙国にすべきだ。そうでなければ、たばこ税を1本につき100円値上げしよう! その財源で財政構造改革と景気対策は両方とも万全だ。まあ、僕は、今の景気は言われているほど悪くはない、という考えだけど。

 (高野孟「日本は不況などではない――腐蝕した経済システムこそ転換せよ」参照。同じサイトにある脱軍備ネットワーク・キャッチピース他の「イラクへの武力攻撃に反対する!」も読んでね)


1998年02月12日(木)

 「週刊文春 2月19日号」の『18歳の次男逮捕 三田佳子“シャブ息子擁護”に「少年法」とは笑わせる』は笑わせる。今どき覚醒剤やってる人間なんて世間にごまんといるだろうに、有名人の息子だからというなんとも陳腐でチープで薄弱な理由だけで、日々を退屈と倦怠と不満とギラギラとした欲望のなかで鬱勃として過ごしている大衆の淫らな嫉妬心に擦り寄って、正義の声を騙るのはいい加減にしたらどうか? 三田佳子バッシングをすると、世間の愚蒙な大衆がそこから覚醒剤の危険性を学びとり、衛生無害で清潔な世の中が実現するとでも言うのかね? これでは「週刊文春」オヤジは「ワイドショウ・女性週刊誌」オバタリアンの同類かそれ以下と言われても文句は言えまい。


1998年02月13日(金)

 昨日から So what??-Forum で遊んでいるでR。特に「狂言の果て」に出没しているでR。ムキンポ氏(小学生)の本来的バカがよくわかるでR。

 今日のポカポカ陽気でカメが冬眠から目覚めたでR。カメはもう5年くらい飼っているでR。


1998年02月14日(土)

 「ムキンポ小僧の掲示板」は今日から「亀王先生掲示板」に改名した。


1998年02月15日(日)

 もちろん、過去の歴史の隠蔽と自己欺瞞のために現在の行動が歪み、神経症の症状を呈しているのは日本だけではない。
 先住民大虐殺の隠蔽と正当化がアメリカの病気の原因であることはこれまで何度も述べたが、たとえば、クリントン大統領が広島・長崎への原爆投下を謝罪するのを拒否したのもこの病気の症状なのである。原爆投下を謝罪することは、他民族を不必要に大虐殺したことを認めることであり、それを認めればアメリカ先住民を不必要に大虐殺したことを認めざるを得なくなり、それを認めればアメリカ国家が不正の上に成り立っていることを認めざるを得なくなり、それを認めれば正義の国であるという幻想にもとづいているアメリカ国家が崩壊するのである。それは単なる人気取りのためではない。アメリカの大統領がアメリカ国家を崩壊させるようなことをするのは許されない。
 原爆投下をアメリカの大統領が謝罪できるようになるためには、その前にまず、アメリカ国民が歴史の欺瞞をやめ、事実の上にアメリカのアイデンティティを築かなければならない。
 (岸田秀「なぜアメリカは原爆投下を謝罪しないか」より)

 須藤甚一郎の「理想の母親 No.1」バッシング、小田晋の「酒鬼薔薇聖斗」リッキング、 Bully Clinton 大統領の「悪の帝国」ブリイングは、皆、相似形のできごとである。民衆は正義に歓喜し、カタルシスを感じるだろう。日頃の鬱憤を晴らす絶好のチャンスだ。何しろ奴らは、悪魔の薬に身を汚し、天使の子供を野菜のように冷血に壊し、炭疸菌やボツリヌス菌やアフラトキシンを撒き散らす極悪非道のけだものどもだ。「インディアン」に人権がないのと同様、奴らに人権などもともとないのだ。
 軍需産業は商売繁盛、兵隊さんたちは劣化ウラン弾で幼時に戻って無邪気にお遊戯(帰国してからたとえ放射能でラリっても、誇りある合衆国軍人は責任転嫁は一切しない)、時給6ドルでマクドナルドで働かされ、ストレスのたまったかつてのミドル・クラス・パパたちもランボー気分で心はればれ、不倫豚くんのセックス・スキャンダルは忘却の彼方だ。請求書はみな極東の猿どもに押しつけておけばいい。(不倫豚くんの豚作戦について知りたい人はこちら)
 極東の猿どもは脳たりんが多いから、ビル・クリントンのビルを気前よく払えば、それで国際貢献したつもりになれるらしい。そう言えば、極東の猿どもも、最近、UNSCOM に倣って持ち物検査に随分と熱心なようであるが、普通の国への道はなかなかに険しい。


1998年02月17日(火)

 神が死に、人間が死に、構造が見出された。
 構造が食べ、構造が寝、構造が遊ぶ。
 「考える」というとき、人が考えているのか、世界が人に考えさせているのか、それを言うのは難しい。そこに双方向的な交通があると考えるのが自然だろう。
 共同体のなかで考えるというのは、何も考えていないのと同じである。閉じられた構造のなかで、自動化された回路を辿るのを、「考える」とは、普通、言わない。紋切り型を多用すること、既成のイメージを強化する言説に与することは、思考とはおよそ対極的な行為である。
 「考える」とは共同体と共同体との間に立つこと、つまり社会的に振る舞うことを言う。2つの異なった共同体のなかでは往々にして互いの言語が通じない。異なった言語システムの間の往還は必然的に人を思考へと促すだろう。
 国とか民族とかいうものに僕は愛着を感じない。むしろ国と国との間、民族と民族との間にこそ、僕を惹きつけるものがある。
 ポリグロットになりたかった。


1998年02月18日(水)

 ピジンとは、共通語をもたない人々の間に起こる、ある限られたコミュニケーションの必要を満たすために生まれる周辺的な(marginal)言語である。(中略)
 クレオールは、ピジンがある言語社会(speech community)の母語(mother tongue)となるとき、生まれるのである。ピジンの特徴であった単純化された言語構造はクレオールに受けつがれるけれども、クレオールは母語であるから、人間の経験のあらゆる分野を表現できなければならない。したがって、その語彙は拡大され、より精巧な統語体系が発達することが多い。
 (ロレト・トッド「ピジン・クレオール入門」大修館書店)

1998年02月19日(木)

 日本語も英語も中国語もゾンカ語もすべての言語はクレオールであるというのが僕の考えである。例外はない。
 この考えは言語だけでなく、民族や文化についても当てはまる。


1998年02月20日(金)

 言語の同定はそれほど自明のことではない。ある言語を他の言語から独立の言語として同定するのは、必ずしも言語学的根拠にのみ基づく行為ではない。それは多分に政治的行為であって、おのおのの言語の歴史的・文化的背景を考えなければ理解できないことである。国境の画定作業とある部分で似ていなくもない。
 スペイン語とポルトガル語とを1つの言語に考える立場も当然あり得るし(仮に現代イベロ・ロマンス語と呼ぶことができるだろう)、ポルトガル語とブラジル語とを2つの独立した言語に数えることだってもちろん可能である。
 10億人の話者をもつ中国語と呼ばれる一大言語群が1つの言語である必然性はどの程度あるのか? 中国語の各言語(各方言)間の差異は印欧語(たとえばロマンス諸語やゲルマン諸語)の間の差異と較べて決して小さくはない。北方語(たとえば北京語)と粤(えつ)語(たとえば広東語)が同じ中国語という名前で呼ばれている理由は何か? これには同じ漢字を使用していることによる漢民族の一体感や中華思想の存在が深く関連していると思われる。将来、中国が言語圏(方言圏)ごとに独立し、連邦国家に移行する可能性だってある。周辺の夷狄国の人間としてはむしろその方が望ましいくらいだ。
 ディジタル化やネットワーク化の進展とともに、英語帝国主義による他言語(特に非欧米語)への支配が危惧されている。日本人にとっては、漢字コード問題が未だに解決されていないこと(たとえば「ケ小平」の「ケ」の字はコンピュータ環境によってはちゃんと表示されない場合がある)と合わせ、気がかりなことである。しかし、英語が将来分裂する可能性だってある、ということを、以前、何かで読んだことがある。つまり現在は方言として扱われている各ヴァリアントが、さらに変異や分化を進めていけば、いずれお互いに意思の疎通ができなくなるときがあり、地理的・民族的・階層的・文化的等の分布に従って、それぞれが独立した言語として扱われるようになるということである。これもまた文化の多様性という観点からは望ましいことのようにも思われる。



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