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ムキンポの鼻☆スペリオール

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2006年2月号

連載第19回

我が友、沢口友美さんを悼む



 先月号(1月号)に次のように書いた友人が、1月10日(火)朝7時20分、還らぬ人となった。
 12月15日(木)、友人の「慢性骨髄単球性白血病にかかった元踊り子」沢口友美さんが、無事、骨髄移植を済ますことができたらしい。早く元気になって、2006年は再び世界を股にかけて大活躍してほしいですな。
 GVHD = Graft-Versus-Host Disease = 移植片対宿主病ということだった。友人の誰もが彼女の死を予期していなかった。春までには元気になって、近いうちまた東京に戻ってくると信じていた。
 彼女のブログ(『白血病で「世をシノブ」』)の、結果的には最後になってしまった、彼女の書き込みの言葉が痛々しい。
水さえ飲めない。悲しい。手足がむくんで痛い。(12/29)
 この頃から10日間以上も苦しみ抜いて彼女は死んだのだ。何のための骨髄移植だったのだろう、と思わずにいられない。
 1月12日(木)の告別式には僕も呉まで駆けつけた。前日の通夜を含め、東京から10名以上が参列した。彼女の危急を聞きつけ、お見舞いに訪れた友人たちも多かった。
 東京でも1月16日(月)、NAKED LOFT で「沢口友美さんを偲ぶ緊急集会」が開催された。彼女の人柄を慕って大勢の仲間たちが百人町に結集した。
 誰にでも優しい人だった。まだ若いのにさぞかし無念だったろう。ご冥福をお祈りします。


 1月15日(日)、東武練馬駅近くの公園で「練馬から自衛隊はイラクに行くな!1.15集会」が開催された。集会の後は、大声でシュプレヒコールを上げながら、陸上自衛隊練馬駐屯地までデモをかけた。僕にとっては2006年のデモ第一弾だ。


 1月18日(水)、“Save the 下北沢”の行動の一環として「1月18日下北沢商業者 要望書提出アクション」が行われた。26メートル(=反対している計画道路の道幅)の黄色い幕を掲げ、下北沢から世田谷区役所(若林公園)まで音楽パレードを実施した。平日の昼間によく集まったと思うけど、シュプレヒコールはないし、僕としてはちょっともの足りなかった。夜、親戚の通夜があったので、区役所までは行ったけど、最後の顛末までは見られなかった。それにしても、下北沢は日の丸の街かよ、と思うほど、駅前は日の丸の旗でいっぱいだった。26メートル道路の前に、まずはそっちを何とかしろ。



2006年1月15日(日)
練馬から自衛隊はイラクに行くな!1.15集会

2006年1月18日(水)
“Save the 下北沢”
1月18日下北沢商業者 要望書提出アクション

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