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ぴぃす・うぉ〜く 反侵略・反占領・反人種差別――イスラエル大使館へ
No-Invasion, No-Occupation, No-Racism Peace Walk to Israeli Embassy

<パレスティナに献花を! 10月16日の声>
<Flowers for Palestine ! Vox Oct. 16>

2009年10月16日(金) 6:30 p.m. JR市ヶ谷駅前集合
7:00 p.m. イスラエル大使館へ向け出発

Fri. Oct. 16 2009 6:30 p.m. in front of JR Ichigaya Station
7:00 p.m. Departure for Israeli Embassy


JR市ヶ谷駅前 in front of JR Ichigaya Station


イスラエル大使館前 in front of Israeli Embassy

顔を出してもよい、と直接本人から許可を得ている人以外の顔にはぼかしを入れてます。
顔出しOKの方は直接私にそう言ってください。


イスラエル大使館前で献花を行います。花はこちらで用意します。
花代として200円程度のカンパをお願いします。
We offer flowers to Palestine in front of the Embassy.
You may be requested about 200 yen for flowers.

自立した1人1人が参加するパレスティナ解放在日民衆連帯行動
the Solidarity Movement for the Liberation of Palestine commited by the independent people living in Japan

<パレスティナに献花を!10月16日の声> 実行委
<Flowers for Palestine ! Vox Oct. 16> Executive Committee


イスラエル首相:ベンヤミン・ネタニヤフさま
イスラエル政府の皆さん
駐日イスラエル大使:ニシム・ベンシトリットさま
イスラエル大使館で働く皆さん
そしてすべてのイスラエルの皆さん

1987年のインティファーダ以降、10月の出来事を拾っていくと、貴国・イスラエルとパレスティナとの和平についてのアウトラインが見えてきます。

パレスティナ人自身が占領に反対し、自らの解放を求めたインティファーダの闘いは、軍事的・政治的に圧倒的優位に立っていたイスラエルを追い詰めていきました。

1991年10月30日、マドリードにて中東和平会議が開催されました。これはインティファーダが勝ち取った成果でした。アメリカとイスラエルは、PLOをテロリストとして参加を認めませんでしたが、パレスチナはそんな分断を乗り越えて団結しました。

マドリードでは和平の前進はありませんでしたが、それは1993年9月のパレスティナ暫定自治協定(オスロ合意)となってひとまずの形として結実しました。「これでやっと平和がくる !」とパレスティナの人々は半信半疑ながらも、ひとときの期待を持ちました。

本格的な海外からの援助がおこなわれ、インフラの整備に手がつけられました。アラファト議長を初めとするPLOのメンバーたちが帰国し、自治政府が樹立され、夢と希望の中、パレスティナ国家独立に向けて動き出した当時のことは、まだ私たちの記憶に残っています。

1994年10月26日、和平のムードだけが先行する中、イスラエル・ヨルダン平和条約が締結されます。国家・経済の利益上から、エジプトに次いで中東の国と握手する必要があったわけです。強硬路線だけでは、破綻するとの政治的判断です。

1998年10月23日には、ワイ・リバー合意により、イスラエル軍、追加撤退が決定します。これはパレスティナ自治区の拡大の合意でしたが、イスラエル軍は撤退せず、ヨルダン川西岸の入植地も撤去されることはありませんでした。

そうなのです。この「和平ゲーム」であらゆる手札を持っているのは、貴国・イスラエルなのです。パレスティナ側はろくな手札を持てず、しかもそのカードはいつイスラエルに取り上げられるかも分からない。意に沿わないことがあれば、何度でもパレスティナを侵略・破壊して、ご破算にできる。

貴国・イスラエルがそういった悪どい手を確信犯的に続ける限り、あなた方は永遠にパレスティナに対する侵略者・殺人者であり続けるでしょうし、ましてやパレスティナ人の良き隣人として、平和の中で暮らすことはできないでしょう。
「井戸に唾する者は、いつかその水を飲まねばならない」(ユダヤの格言)

イスラエルが犯した国家戦争犯罪は、必ずや世界の人々の前で断罪される時がくることでしょう。

☆1956年10月、カフム・カシム村でのパレスティナ住民虐殺糾弾!
☆1990年10月、パレスティナ人22名を射殺した「嘆きの壁発砲事件」弾劾!
☆パレスティナを分断し、生活を破壊する隔離壁の即時撤去を!
☆パレスティナとの対等な和平を!侵略も占領も平和を生み出さない!
☆パレスティナ難民を切り捨てにしない和平を!
☆イスラエル兵よ、侵略の銃を取るな!殺すな!愛する家族のもとへ帰れ!
☆自らの「生」を求めて闘う、全世界の人々とともに!

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<パレスティナに献花を!>10月16日の声・参加者有志
(文責・一ノ瀬輝博)
一ノ瀬連絡先:luv_beer901(at)yahoo.co.jp


Rooftop 2009年11月号
ムキンポの鼻☆スペリオール 連載第64回
ゴーゴー・パレスティナ 2009

2009年10月1日(木)〜10日(土)
ゴーゴー・パレスティナ 2009
Go Go Palestina 2009

<パレスティナに献花を!11月20日の声>
<Flowers for Palestine ! Vox Nov. 20>
2009年11月20日(金) 6:30 p.m. JR市ヶ谷駅前集合
7:00 p.m. イスラエル大使館へ向け出発


アラビア語+英語 ヘブライ語+英語


Map to Israel Embassy


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